私の家は割と古いので、放っておくとすぐに家の周りは雑草だらけになってしまいます。
なので、雨の日の翌日など、気が向いた時にちょこっとずつ雑草取りをします。
『雑草』と言っても、当然そんな名前の草があるわけではなく、実にいろいろな種類の草が生えています。
根から完全に抜いてしまいたいので、土をほじくり返して取るのですが、様々な根があることに本当に感心してしまいます。
小学校の理科の時間に習ったような主根と側根、ひげ根、地下茎で広がっていくもの、などなど・・・
そんな中で、私が大嫌いな草があるのです。
クローバーに似た葉を持つのですが、土の中には白く半透明な球根があります。
調べてみると、「ベニカタバミ」というカタバミの一種だそうです。
この草、
地上に出ている葉と茎をちょっと引っ張ると、ブチブチとすぐに切れてしまいます。
根っこから根絶したい私にとっては不快この上ない!!
しかし、この構造は、この草にとって、「子孫を残すことが最重要課題である。」ということを明確に物語っています。
草でも木でも、植物にとって根とは、「自分の身体を支えるもの」であり、「栄養を補給するもの」であり、ある種にとっては「そこから子孫を増やしていくもの」でもあります。
大事な部分であるからこそ、根の部分を含め強く頑丈に、土から抜けにくく工夫を凝らして進化してきたであろう幾多の植物たち。
その中にあって、このベニカタバミは、逆に、「トカゲのしっぽ切り」のように、地上部分を潔く切り捨てることによって、大事な部分を守り、次世代につなげていっているのです。
人間の社会において「トカゲのしっぽ切り」は、往々にして、悪いイメージがつきまといます。
「大企業や悪徳政治家が追い詰められ、切羽詰まった時に末端の善良な社員を切り捨てる。」
そんなイメージではないでしょうか。
しかし、それは、切られるしっぽ側から見た時のハナシ。
動物の弱肉強食の世界においても、人間の社会においても、ある種の「トカゲのしっぽ切り」を実行できるものは強いですよね。
それはつまり、一番大事な部分、一番守らなければならない部分がハッキリしているということです。
「ここさえ残っていればOK。」
この正確な「分析」と、それ以外を切り捨てる「覚悟」。
おかげで、我が家の庭には、このベニカタバミが至る所に繁殖しています。
このベニカタバミのあり方も、他者(私)にとってみれば、タチが悪く、迷惑極まりない。
しかしそれは、自分の思い通りにならない歯痒さと、その潔さへの憧れから来るのかもしれません。
「タチが悪い。」と思いつつ、その進化の方法を選び、生き抜いてきた彼らに感心と尊敬の念を覚えるのです。